悪魔のひき臼

エッセイ
この記事は約3分で読めます。

悪魔のひき臼

ポランニおじさん

かつて、カール・ポランニーという

経済にとても詳しいオジサンがいた。

かれは資本主義を「悪魔のひき臼(デビルズ・ミル)」だと言った!

まるでひき臼ですりつぶしていくように、

資本主義が進むにつれて、社会や文化がすりつぶされていくということだ。

簡単に言えば、

「元々あった社会や自然環境のあり方を壊し、単なる商売道具にする」

ということである。

現在の我々もすり潰されている側なので、

想像するのは難しくない。

例えば、

かつては地域社会でそれぞれが生産しながら暮らしていたところに

資本主義が入ってくると、

人々は「労働力」という商品ラベルが貼られ、

賃金労働者として経営者に買われる商品になる

土地や自然も、かつては地域の人々で共有財産として守られていたものが、

資本主義社会では、

個人が所有するための商品として売買対象になる。

このようにほとんど全てのモノが

貨幣価値がつけられることで、

「商品化」していく。

そこで失われるのは、貨幣価値がつかないものである。

それは、地域社会や文化、人間味ある人間性など、

抽象的でよくわからないものだ。

しかしそれらは、目には見えないけど、確かにあったし、

よくわからないけど、とても大事なものだったのだ。

資本主義すらすり潰す

「悪魔のひき臼」が恐ろしいのは、

もはや資本主義そのものすらも、

すり潰されかけているところである()

そう、AIだ。

AIがこの調子で発展すれば、

近い将来に明らかに、

社会は大きく形を変えることになる。

なぜならば、

AIは、人間の「労働力」としての商品価値

ゼロにしようとしているからだ。

もはやAIに知的な分野で勝とうとすることは、

オートバイと短距離を競うようなものだ。

勝てっこないのである。

多くの知的労働を売りにしているサービス業は

消えてなくなるだろう。

肉体労働もしばらくは残るかもしれないが、

そのうちロボティクスが進めば、

いらない仕事も増えてくるかもしれない。

何が消えて、何が残るか、

どう変化するか

予想しても全く意味がない。

残ったやるべき仕事を人間がやるだけだ。

ふつうの価値基準

どうしても資本主義社会で生き慣れた私たちは

金銭価値を価値判断の軸にしてしまう。

儲かるか、儲からないか

安いか、高いか

裕福か、貧乏か

金がある方が良くて

金がないのは良くない

と無意識に考えてしまう。

反対のことを言う人がいたら、

ただの逆張りか、嫉妬心である。

ちがう価値基準

仮に死後の世界があったなら、

そこでの価値基準はどうなってるのだろうか。

現実と同様に、

金を持っている方が善

という価値基準なのだろうか。

わからないけど、そうではなさそうだよな。

なんとなく。

資本主義が「悪魔のひき臼」なのだとしたら、

富裕層は、臼(うす)を挽く側である。

てことは、貧乏人は

挽かれる側だから、

天国では価値基準としては上なのか

とかなんとかめんどくさいことを考えてみる。

とりあえず聖書では、

「全世界の財産をオマエにあげよう」

と誘惑してきた悪魔に対して、

キリストは、

「失せろ」

とブチ切れている。

とにかくまぁ

AIには早く発展してもろて、

人間さまは文化的な生活を享受したいものです。

著者プロフィール
この記事を書いた人

♞ 26歳、牡牛座、A型
♞ MBTI:INFJ-T(提唱者)
♞ 愛読書はバイブル
♞ モットー
 「広く、浅く、テキトーに」

TOMONARIをフォローする
エッセイ
シェアする
タイトルとURLをコピーしました