すべての親が子どもに残すことのできる
最も価値のある資産は「読書習慣」である。
この資産には、お金はかからない。
税金も取られることはない。
そしてこの資産は
半永久的に良い効果をもたらす。
読書には、思いつくだけでもさまざまな力がある。
人生の意義や道徳、美徳を学ぶ、さまざまな生き方や価値観を学ぶ
ストレス発散にもなるし、知的探究心にもつながる
また見えないものへの信仰心や、感謝にもつながる
基本的な読書力や読書習慣がないままで、
学力スコア向上や単純なスキル習得のために
「勉強」させられる子どもは不幸である。
それはまるで、
海で泳いだこともないのに、
ひたすらプールで泳ぎのタイムを測るようなもの
キャッチボールをしたことがないのに、
スピードガンで球速を測るようなものだ。
要するに、
「経験値」になっていない。
本をよく読む子どもは、
最低限の学力は勝手についてくる。
それ以上に「学力」をあげたい子どもは
おのずから勉強するだろう。
ポイントは「本を読む習慣」を親がどう与えてあげるかだ。
読書習慣は、
子どものうちに根付かせなければ、大人になってからつけるのは容易ではない。
そして、親が子どもに読書習慣をつけさせるためには、
その親自身に、読書習慣がなければ絶対に成功しない。
「親の背を見て子は育つ」のである。
IT技術が発達し、スマートフォン、AIの目まぐるしい発展が続く。
まさに日進月歩だが、
その時、置いてかれているのは生身の人間である。
今までは「ググれば」なんでもわかるだったのに、
AIに聞けば、「ググってないのに」教えてくれる。
そのうち、「聞いてもないのに教えてくれる」時代が来そうである。
単純な労働コストの問題なら、AIに全部任せた方が良い。
しかし、本来人のうちにある無限の可能性や創造性は計り知れないほど深いはずである。
今までの知識を整理して、「新しい」ものを生成することはAIにもできる。
けれども、可能性を諦めずに限界を超えたり、
答えのない問題に答えを生み出したり、
根源的に新しいものを生み出すことは
人間にしかできないのではないか(と思う)
というか人間がやるべきなのである。
もともと世界中に70か80億くらいの「知能」があるのに、
さらに「人工的な知能」を作ろうとするなんて
かなりの物好きだなとも思うけど、
それすらも生身の人間の創造性ではないか。
読書は人の創造性を最大化する

