雨ときどき偏頭痛

◆本日の自己評価

今日の自己評価は2(5段階評価中)です。(^◇^;)

今日も書いていきます。誰にも需要のないこのブログ!

いいんです。自分のアウトプットのためにやっているのです。

今日は雨でずっと頭が痛かったー、

疲れ果ててブログの更新も日をまたいでしまったので、評価は2です。^^;

◆今日あった良かったこと

  1. 職場で席替えをして気分転換になった!
  2. 久々に食ったKFCが美味すぎた。

◆金勘定ってむなしい

大人になってからすごく痛感しているのは、世の中ってキレイゴトで動いていないってことですね

子どもの頃ってすごくピュアで純粋ですよね。

だから、無意識的にに「大人ならこんなことするはずがない」って思っていたことも、

大人の社会の中に入ると普通にやっている。そして、最初はそこに違和感を持っていても、

社会に馴染むにつれて、気づいたら自分もそっち側になっている。

その循環で歴史は流れているのでしょう。

ま、平たく言えば、大人は全て金勘定で動いているということですよね。

そもそも、資本主義という仕組みの元ではそれが最も合理的とされる。

つまり、どれだけ売り上げて、その売り上げを出すために、いくらのコストがかかったから、利益はいくら。

売上▲コスト=利益

これが全てです。

利益を出すためには、売上を上げるか、コストを減らすか、のどちらしかないんです。

でも世の中甘くないんで、そう簡単にどちらも上手くいかないんですよね。

だから、資本力を持った企業、つまり強い企業は、純粋に投資をして競争力を強化しようとするだけでなく、

  • 政治家を買収して法的に規制を緩和or強化させ、国内市場を独占しようとする
  • 資本力でライバル企業を買収する
  • 海外など新しい市場に乗り込む

また、コストを最小限に抑えるために、

  • 下請け企業や外注を買い叩いて、安い金額で働かせる
  • 国際化の大義名分の元、外国の方を安く働かせる
  • 従業員の給料はあげないor下げるorリストラ

をやっているのでしょう。(ま、そんなん知らんけど♪)

これは別に批判でもなく、悪いとは全く言ってません。

民主主義+資本主義のルールの下ではこれが最も合理的というだけです。

それ以上でも以下でもありません。

商売は慈善事業(ボランティア)ではないのです。

◆人間って非合理的っ

人って本来そういう”合理的”な社会で生きていくには無理があると思うんです。

というのは、もともと人間って”非合理的”な生き物じゃないですか。

その最も非合理的な性質の代表が”感情”ですよね。

感情ってすごくコストが悪いんです。

  • 誰かを好きになる→たくさん時間もお金も使って付き合う→→→→結局別れる!!!!!!!
  • 何かをモノ大切にする→たくさんの愛情を注ぐ→→→→壊れる!!!!!!
  • 誰かを嫌う→自分からどんどん避ける→→→→さらに嫌になる( ; ; )

などなど、挙げ出したらきりがありませんが、

要するに、感情は非合理的なものだということです。

だからどっかの誰かが、最もコスパに生きたければ、生まれてからすぐタヒね!

と述べられておりました。(もちろん冗談ですよ。)

◆でもやっぱり人の心が動くのは、利益は度外視の精神

もし人間がもともと合理的な生き物なら、

コスト・リスクを無視して、命をかける!

という姿に何かしらの美しさは感じないはずです。

つまりは、ヒロアカのデクの姿に感動は覚えません。

チェンソーマンのアキくんの姿にも何も感じないでしょう。

というかむしろ怒りを感じるでしょう。

なんでそんなリスクを度外視したことをやるんだ!!コストを考えろ!!

もし、人間がいわゆる”合理的”な性質なら、です。

でもわれわれはそうではない。感動してしまうんですよね。

この身を賭してでも、助けたい

そういう姿を批判する人はいないはずです。(ほぼ….)

◆キリストは友人(わたしたち)のために命を賭した

これは聖書の中でも特に”神の愛”を語ったとても大事な箇所です。

でも、ピュアな心で読めば全く難しいことじゃない。

ヒロアカを見て感動する人なら、きっといつかストレートにわかることです。

理屈とか、学問とか、思想とかそういう類のものじゃないんです。

直感なんですね。

だって我々は”非合理的”な生き物なんですから。

それでいいんです。

では。

※本ブログに掲載されている聖書の引用は、King James Version(KJV, 1611)をもとに筆者が適宜翻訳・意訳したものです。原文はパブリックドメインです。

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