2026/01/30:キリストの偉業

聖書エッセンス
この記事は約2分で読めます。

今日は、御子の本質からその贖いの御業までを深く掘り下げます。

今日の聖句
ヘブル人への手紙 1章3節


ギリシャ語原文: ὃς ὢν ἀπαύγασμα τῆς δόξης καὶ χαρακτὴρ τῆς ὑποστάσεως αὐτοῦ, φέρων τε τὰ πάντα τῷ ῥήματι τῆς δυνάμεως αὐτοῦ, καθαρισμὸν τῶν ἁμαρτιῶν ποιησάμενος ἐκάθισεν ἐν δεξιᾷ τῆς μεγαλωσύνης ἐν ὑψηλοῖς·

逐語訳: 彼は、栄光の輝きであり、その本質の刻印であり、
万物をその力の言葉によって運びつつ
罪の清めを成し遂げて
高きところ1において大いなる御方の右に座られた。

解釈ポイント


本節は、キリストの「存在」「統治」「救済」の三側面を凝縮した、

新約聖書の中でも屈指のキリスト論的叙事詩です。

  • 存在:神の可視化
    • キリストは神の栄光の「放射(輝き)ἀπαύγασμα」であり、神の内に秘められた性質を完全に映し出す「刻印(χαρακτήρ)」です。
    • つまり、キリストを見ることは、神の御姿を知ることなのです。
  • 統治:万物の保持
    • 保持する(φέρων)」という言葉は、単に静的に支えるというより、万物を継続的に担い、支えつつ運び続けるという動的な意味を持ちます。
    • 宇宙の運行も、私たちの人生の歩みも、キリストの力強い「言葉(ῥῆμα)」によって支えられ、完成へと導かれています。
  • 救済:罪の清めと着座
    • 最も注目すべきは、万物を支配する万能の主が、同時に私たちの「罪の清め」を成し遂げたποιησάμενος)という事実です。
    • そして、その業を終えた後、主は「座られた」のです。
    • これは、旧約の祭司たちが幕屋で決して座ることができなかった2(=贖いの業が永遠に終わらなかった)ことと対照的です。
    • キリストの「着座」は、私たちの救いが完了したことの宣言です。

訳文比較


新改訳2017: 「罪の清めを成し遂げて、いと高き所で、大いなる方の右の座に着かれました。」

新共同訳: 「人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。」

ギリシア語の「ποιησάμενος(成し遂げて)」は中間態であり、

キリストが主体的に罪の清めを成し遂げたことを示します。

その具体的方法は、文脈上、命を献げることです。


また、「言葉によって」と訳される語はῥῆμα(語られた言葉)であり、

内容としての言葉(λόγος)よりも、実際に発せられた発話を強調します。

創世記の天地創造を想起させるものでもあります。

このキリストにあって、今日一日が平安でありますように。

  1. 話はそれますが、「高天原」を想起させられます。 ↩︎
  2. ヘブル書10:11-12「立っている祭司」と「座られたキリスト」の対比 ↩︎
著者プロフィール
ともなり
この記事を書いた人

✞ 26歳、牡牛座、A型
✞ MBTI:INFJ-T(提唱者)
✞ 愛読書:聖書
✞ 信条:
 「キリストを信じることは、日本人としてのあり方を捨てることではない。むしろ日本人としてのルーツに向き合うことである。」

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