【1日目】創世記1〜4章

黙想-Devotion-
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-はじめに- 主の祈り

天にまします我らの父よ
願わくは御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたまえ
御心の天になるごとく地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく
我らの罪をも赦したまえ
我らを試みにあわせず
悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは
限りなく汝のものなればなり
アーメン

-本日の聖書箇所-

創世記1〜4章

-所感-

自由とは常に制限がつきまとう。

制限のない自由は存在し得ない。

学生で言えば、制服を着るという義務(制限)があるから、シャツ出し(着こなしの自由)が生まれるのである。

最初の人アダムは神から自由を与えられた。

それは、一つの制限(善悪の知識の木からは食べない)の上に成り立つ自由であった。

しかしアダムはその制限を破った。

破ったということは、その自由すらも自分で定義しようとすることと同義であった。

自分の人生は自分で決めようとするという自我

これは自分自身が神となることと同義であった。(3:22)

だからその代償は「死」である。

つまり我々は、「死」という制限の元、自分の人生を自分で決めるという自由を手にしたのである。

神に繋がった永遠のいのちにつながる生き方か(神の制限の元での自由)、

死と引き換えに自分が神となる生き方か(死という制限の元での自由)、

私たちは常にこの二者択一を迫られているのかもしれない。

電化製品のコンセントを抜けば長くは持たないように

私たちも神から離れては生きていけない。

前者を選ぶ生き方をしていきたいものだ。

-終わりに- 使徒信条の告白

我(われ)は、天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我は、その独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、
三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、
全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来たりて、
生ける者と死にたる者とをさばきたまわん。

我は、聖霊を信ず。
聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、
からだのよみがえり、永遠のいのちを信ず。

アーメン

-聞き流し讃美- 主われを愛す

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