2026/02/03:キリストのゆえに

聖書エッセンス
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今日の聖句:マタイの福音書 16:25

ギリシア語原文
ὃς γὰρ ἂν θέλῃ τὴν ψυχὴν αὐτοῦ σῶσαι, ἀπολέσει αὐτήν·
ὃς δ’ ἂν ἀπολέσῃ τὴν ψυχὴν αὐτοῦ ἕνεκεν ἐμοῦ, εὑρήσει αὐτήν.

逐語訳
なぜなら、誰であれ、もし自分の魂(命)を救おうと望むなら、それを失うだろう。
しかし、誰であれ、もし私のゆえに自分の魂(命)を失うなら、それを見出すだろう。

原語から読み解く

ギリシア語原文では、命(魂)を ψυχή(プシュケー) と呼んでいます。

これは単なる「心」や「死後の魂」ではなく、

「地上で生きている自己全体」を指します。

  • 自己中心の生き方: 自分の人生の手綱を自分で握り、自分を守ろうと必死になる生き方。
  • キリスト中心の生き方: 「私のゆえに(ἕνεκεν ἐμοῦ)」、その手を離してキリストに委ねる生き方。

解釈ポイント(キリスト中心)

この言葉は、単なる「自己犠牲のすすめ」ではありません。

イエスはここで、ご自身と結びついた生き方と、そうでない生き方の決定的な差を語っています。

まず注目すべきは、「私のゆえに(ἕνεκεν ἐμοῦ)」という一句です。

魂(ψυχή)を失うこと自体に価値があるのではありません。

キリストのために失うことに意味があります。

ここで示されている逆説はこうです。

自分を守るためにキリストを避ける者は、最終的に自分を失う。

キリストを選ぶために自分を手放す者は、最終的に自分を得る。

つまり中心は「自己」ではなく、キリストご自身です。

さらに深く見ると、この言葉はイエス自身の歩みを先取りしています。

イエスはまさに「自分の命を失い」、十字架にかかられました。

しかし父なる神は、そのイエスを復活させ、イエスは再び「命を得た」のです。

弟子に求められているのは、

キリストが歩まれた道に連なることです。

古い自己はキリストとともに死に、

新しい命はキリストのうちに与えられる。

この聖句は、

「どうすればより良い人生を送れるか(How to)」ではなく、

「誰と共に生きるのか(With whom)」を問いかけています。

訳文比較

新改訳2017:

自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、
わたしのためにいのちを失う者はそれを得るのです。

新共同訳:

自分の命を救おうとする者は、それを失うが、
わたしのために命を失う者は、それを得る。

回復訳:

自分の魂の命を救おうとする者はそれを失い、

わたしのために自分の魂の命を失う者はそれを見いだす。

原語の ψυχή は「魂」とも訳せますが、

この文脈では

生きている自己全体、すなわち「命」を指しています。

「魂を救う」と訳すと内面的・抽象的に聞こえますが、

原文はむしろ、自己保存か、キリスト選択かという具体的で切実な対立を表しています。

黙想

私は「自分を守るためにキリストを脇に置く生き方」を選んでいないだろうか。

それとも「キリストのために自分を差し出す生き方」を選んでいるだろうか。

主のもとで失われるものは、主のもとで必ず見出されます。

著者プロフィール
ともなり
この記事を書いた人

✞ 26歳、牡牛座、A型
✞ MBTI:INFJ-T(提唱者)
✞ 愛読書:聖書
✞ 信条:
 「キリストを信じることは、日本人としてのあり方を捨てることではない。むしろ日本人としてのルーツに向き合うことである。」

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