失望に終わらない希望

一日一生
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この希望は失望に終わることがありません。

ローマ人への手紙5:5

希望の意味を調べたら、

「未来に望みをかけること」

だそう

皆さんはどんな「希望」を抱いていますか

どんな未来を望んでいるでしょうか

そもそも希望なんて持っていない人も多いかもしれない

テレビもSNSも、周りの大人も

「不幸」ばかりを語っている

「真面目に将来を考えろ」と説教しながら、

同時に「絶望しろ」と言っているみたいだ

でも、

人間が希望を持ったり、絶望したりする

ということは、

「本当の希望がどこかにある」

ということだ。

物事にはいつも

「行為と、その対象」

がある

例えば、

「お腹が空く→食べ物」

このように

何かをするときには必ずその対象がある

だから

「希望を持つ」という行為には

「本当の希望」という対象がある

その希望は

「永遠に生きる」

ということ以外にないと思うのだ。

永遠になんて生きたくない

と思うのは、

きっと

この世界で生きることを前提にしているからだ

争いも涙もない

傷つけることも傷つけられることもない

奪い合うことも、欲を張ることもない

愛に飢えることなく、満ち足りる世界

まさに

ジョンレノンが「イマジン」で歌ったような世界

ならば

きっと永遠に生きていたいと思うはずだ。

逆に今の世界で満足している人は、

天国は物足りない世界かもしれない

何かを所有することなく

人よりも自分が優れているということはない

むしろ自分より持たない者や

持っているモノすら手放し、

分け与える者が

優れた人とされる世界である。

聖書が教えるすばらしい人生とは

「裕福な暮らし」

ではなく

「貧乏だけど豊かな暮らし」

である。

聖書によれば、

イエス・キリストは

わざわざ神としての在り方を捨てて、地上に来た。

そして、一人ひとりに

分け与える生き方を身をもって伝えた

裕福なはずの者が、わざわざ貧しい生き方をした。

しかしそれこそが「豊か」なのだ

そう教えたかったのだ。

「豊かさと裕福さ」

似て非なるものである。

世間は、後者を勧める。

裕福になれば、豊かになれるのだ。

としきりに喧伝する。

それに人は惑わされる。

もちろん自分もそのひとりだ。

けれども、そこに惑わされてはいけない。

本当に豊かな人生とは、

・友人や家族、恋人、知り合いと親しみあい

・自然や動物と触れ合い

・美味しい食事を楽しみ

・日々生かされていることに感謝する

これだけで十分だ。

それ以上を求めて苦しむのは、悲しいことだ。

上を見ればキリがない。

望んだもの全てを手に入れたような人もいる。

けれども、それらは

どうせ死ぬときに返すのだ。

生きている間、借りているだけ。

優れた借り物を得るために、

血眼になっても仕方がない

人の望みは天にある

地上でつつましく、小さく、静かに

自分のペースで生きるだけでいい

ですから、明日のことまで心配しなくて良いのです。

明日のことは明日が心配します。

苦労はその日その日に十分あります。

マタイの福音書6:34
著者プロフィール
この記事を書いた人

♞ 26歳、牡牛座、A型
♞ MBTI:INFJ-T(提唱者)
♞ 愛読書はバイブル
♞ モットー
 「広く、浅く、テキトーに」

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